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  • 「バイバイ、ありがとう」

    「ああ、やっぱり今日だったんだ」

    彼女はそう言った。

    夜中に突然山登りに誘われて、未明から登りたくもない山に登って、一緒に朝日を眺めている最中だった。

    いつも表情豊かで、太陽みたいに明るい彼女が、僕の知らない全てを悟ったような静かな顔をしていた。

    「知らない世界に来て、行き場所を無くした私をあなたは見付けてくれた」

    髪の色も、獣の耳も尻尾も本物で、彼女は人ではなかった。

    「雨に濡れて、ただ震えていた人間じゃない私を、あなたは何も言わず温めてくれた」

    関わったら厄介なことになるとか、何処かの機関に保護してもらうとか、難しい事なんて何も考えなかった。
    直ぐに仕事を辞めて、田舎に引っ込んで、在宅でできる仕事を選んだ。
    彼女が耳と尻尾を出して、自由に過ごせる場所で暮らし始めた。

    女の子が困っていたら助けるものだ。
    それが人間じゃなかったとしても。

    「それからの日々はとっても楽しくて、いつまでも、いつもまでも続いてほしかった」

    僕も楽しかった。
    都会と違って便利は悪かったけど、君がいてくれれば何もいらなかった。

    だから、そんな風に過去の出来事のように話さないでくれ。
    明日も、明後日も、明々後日も、この先ずっと僕らは一緒だろ。

    いつものようにさ、僕の不安を笑い飛ばしてくれ。

    「でもね、別れることは決まっていたんだ」

    彼女は自分の腕を掲げ、朝日に透かす。
    半透明となってしまった指先を僕に見せた。

    彼女と出会い、漠然と抱いていた不安が現実となってしまった。
    余りにも唐突で、頭が理解を拒んだ。

    「まるであなたが教えてくれた物語みたいだね。シンデレラ……時間制限付きのお姫様」

    「違うのは、私の王子様は私を見付けられない事」

    「あなたはこの世界の住人だから」

    「私はこの世界の住人じゃないから」

    「魔法が解ければ、あるべき場所に戻るしかない」

    「今日まで言えなくてごめんね……」

    彼女の体の輪郭は、朝日を浴びて白く空気に溶けようとしていた。
    そんな彼女を引き留めようと駆けだした足は、伸ばした手は、どんなに頑張っても届かなかった。
    必死に足掻いても、距離が縮まることなかった。
    僕と彼女との間には、僕らを遠ざける目に見えない壁が存在していて、決して触れ合うことを許しはしなかった。

    「バイバイ、ありがとう」

    そう呟かれた言葉を最後に、彼女の姿は空気に解けるように消えてしまった。

    初めから誰も居なかったように、あるべき景色が戻ったと言いたげに。

    僕に出来たのは、最後に残った彼女の姿を記憶に焼き付けることだけだった。

    消える間際に見た彼女は、眩しいほど輝く笑顔を僕に向けていた。

    僕はそんな彼女に、どんな顔を見せられただろうか。

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